花火

2日、私は診療後小岩駅に急いでいました。
幕張ドルフィン歯科の米山です。
小岩駅に着くと、いつになく大勢の人があふれて、妻とケイトをようやく発見。
去年までは、市川駅よりも小岩駅の方が降りる人が多かったのですが、今年は市川駅で
降りる方が多いようでした。
昭和通を歩いていると、いきなり大音響が鳴り響き、夜空に大輪の花が見えました。
人々の驚嘆の声があちこちで起こる中、江戸川土手に急ぎました。
私が小学校のころ、実家の窓からいつも眺めていた花火を、妻のエレイと知り合ってから
江戸川土手まで足を運ぶようになりました。
ケイトが生まれた2011年は、花火大会は中止
なのでケイトにとっては、3回目となりましたが、途中で帰ろうよという始末。
もう少し大きくなったら、花火の面白さもわかってくるのでしょう。
私も幼少期、青年期、壮年期それぞれの時代の中で、花火の見方も変わってきました。
花火自体も、手作業から今ではコンピューターを駆使したものへと変化。
確かに以前よりは、迫力や色、形、玉数、演出など多くのものが進化してきたようです。
それに比例するように、人生の中で、花火に感じる自分自身の受け止め方も変化していき
さらに奥行きも増してきたように思います。
ケイトの見る花火、妻の見る花火、大学受験を控えたゆうたろうの見る花火
そして自分が見る花火
同じ花火であっても、人の数だけの意味があると思うのです。
そう、人生の意味付けは、自分次第
そんな夏の一コマを満喫しました。