所有とは

6日連休最終日は、朝から肌寒さを感じる気候でした。
幕張ドルフィン歯科の米山です。
私は、以前より風邪を引いていて、家族にもうつしてしまいました。
それでも連休最後なので風邪を押して、幕張メッセで開催されているプラレール展へ。
会場では、ケイトと同年代のちびっ子たちが、プラレールに夢中になっていました。
プラレールの歴史は、1960年代からあるので、私が生まれたころから
親しまれていることになります。
私自身はプラレールで遊んだ記憶がありません。
現在高校3年のゆうたろうには、けっこう買ってやった覚えはあります。
最近、読了した書籍に島田裕巳氏の 0葬 があります。
そのなかで、
洋服など、何着あっても、その時着られるのは1着だけである。
という文章があります。
あたりまえのことですが、この文章にとても深い意味を感じました。
人は、生まれたときは何も着ていません。
親が多くのものを与えたときから、人は所有という概念を刷り込まれていきます。
多くのものを所有すればするほど、欲求と不安は増大していきます。
よく考えてみると、本当に自分のものはあるのかという疑問に行き着きます。
そうです。
死ぬときは、必ず手放さなくてはならない。
さらに、残された家族の負担も減らす気遣いもしていく必要があるでしょう。
0葬という発想は、自分も思ってもみなかったことですが、それを考えながら生きることが
今後の人生を精神的に豊かにしてくれるものと思うのです。
今の息子たちにも、その視点を持ってもらいたいものです。
写真は、私の唯一のスーツです。